114歳という長い人生を歩み、2026年8月には日本国内最高齢者となった岸本ふよさん。
1911年生まれということから、明治・大正・昭和・平成・令和という5つの時代を生きてきた人物でもあります。
兵庫県で生まれた岸本さんは、のちに京都へ移り、仕事と子育てに励みながら長い年月を過ごしました。
いったい岸本ふよさんはどんな人生を歩んできたのでしょうか。
今回は、公開されている情報をもとに、生い立ちから京都での生活、そして国内最高齢になるまでの歩みを紹介します。
兵庫県生まれ、明治から続く114年の人生
岸本ふよさんは1911年12月20日、現在の兵庫県新温泉町にあたる浜坂町で生まれました。 今から100年以上前、明治44年のことです。
結婚後は子どもを育てながら生活していましたが、夫を第二次世界大戦中に亡くし、その後は一人で子育てを担うことになりました。
戦中・戦後という社会が大きく揺れ動いた時代を、若い頃から体を使う仕事に携わりながら乗り越えてきた岸本さん。 そのたくましさは、後の京都での暮らしにもつながっていきます。
京都で20年以上勤めた学校給食センターと徒歩通勤
岸本さんの人生を語るうえで欠かせないのが京都での暮らしです。
60歳を過ぎた頃に京都府へ移り住み、そこから学校給食センターの調理員として勤務を始めます。
- 80代半ばまで現役で勤務
- 60代から80代まで、実に20年以上働き続けた
- しかも長年徒歩で通勤していた
車や電車での移動が当たり前の現代とは違い、岸本さんにとって「歩くこと」は日常そのものでした。 特別な運動ではなく、仕事と通勤を通じて自然と体を動かす生活を長年続けていたのです。
信仰と食の楽しみ―岸本さんの日常習慣
長寿の秘密として気になるのが、日々の生活習慣です。 岸本さんの場合、信仰と食の楽しみが大きな柱になっていました。
毎日3時間の読経
岸本さんは長年にわたり、毎日およそ3時間、南無妙法蓮華経を唱える読経を続けていたとされています。 114歳になるまで、この習慣を大切に守り続けてきました。
甘いものも楽しむ暮らし
「長生きするには好きなものを我慢するべき」と思われがちですが、岸本さんは違います。
112歳の頃も自力で食事をとり、甘いコーヒーやお菓子を楽しんでいたと伝えられています。 我慢よりも、日々の小さな楽しみを大切にしてきた暮らしぶりがうかがえます。
大腿骨骨折を乗り越えて―老人ホームでの生活
長い人生には、当然困難もありました。
- 99歳のとき:大腿骨を骨折し、老人ホームへ入所
- 100歳頃:再び同様のけがを経験
- 103歳のとき:体調を崩すも回復
それでも長い人生を歩み続け、114歳を迎えた岸本さん。周囲への感謝を忘れない穏やかな性格と伝えられています。
スーパーセンテナリアンから国内最高齢への歩み
岸本さんが記録を重ねてきた歩みを、時系列で整理してみましょう。
- 2021年12月:110歳の誕生日を迎え、スーパーセンテナリアン(110歳以上の長寿者)に
- 2023年9月:京都府で3番目の長寿者として報告される
- 2024年9月:京都府最高齢者になる
- 2025年7月29日:当時の国内最高齢者・廣安美代子さんが逝去し、日本で2番目の長寿者に
- 2026年8月27日:国内最高齢者だった賀川滋子さんの逝去により、岸本さんが日本国内最高齢者になる
明治44年に生まれた岸本さんは、明治の終盤から令和まで5つの時代を生きてきた、まさに生きた歴史の証人です。 戦争、社会の変化、仕事、子育て、そして京都での長い暮らし――その人生は、100年以上にわたる日本の歩みそのものと重なります。
まとめ
岸本ふよさんの114年間は、単なる「長寿の記録」ではありません。
- 戦争で夫を亡くしながらも子育てをやり遂げた強さ
- 60代から80代まで20年以上働き続けた勤勉さ
- 読経や食を楽しむ、無理のない日々の習慣
- 骨折や病を乗り越えてきた生命力
こうした一つひとつの積み重ねが、110歳を超えてからも長寿を重ね、京都府最高齢、そして日本最高齢へとつながったのではないでしょうか。
現在は京都市内の老人ホームで暮らしているとされる岸本さん。
114歳という記録的な年齢を迎えた現在も、長い人生を歩み続けています。


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