テレビ朝日系『報道ステーション』でメインキャスターを務めるジャーナリストの大越健介さん。NHKの政治部記者や『ニュースウオッチ9』のキャスターとしても長年親しまれてきましたが、実は東京大学時代に野球部のエースとして活躍し、東大史上初となる大学日本代表に選出された本格的な野球人でもあります。
本記事では、大越健介さんの学歴(小学校・中学校・高校・大学)を時系列で分かりやすく整理し、中学時代の挫折を乗り越えたエピソードや、東大野球部での驚くべき実績について詳しくご紹介します。
大越健介の学歴一覧
まずは、大越健介さんの出身校を一覧で振り返ります。
- 小学校:新潟市立中野山小学校
- 中学校:新潟市立石山中学校
- 高校:新潟県立新潟高等学校
- 大学:東京大学 文学部国文学科(文科三類入学)
公立の小中学校を経て県内トップクラスの進学校に進み、1年間の浪人生活を経て東京大学へ進学しました。学生時代はいずれの学校でも野球部に所属し、白球を追い続ける日々を過ごしています。
出身小学校・中学校:野球との出会いと「イップス」による挫折
大越健介さんの出身小学校は新潟市立中野山小学校、出身中学校は新潟市立石山中学校です。
1961年8月25日、新潟県三島郡寺泊町(現在の長岡市)で生まれた大越さんは、県庁勤めの公務員だった父親の転勤に伴い、3歳ごろに新潟市へ転居しました。
幼少期〜小学校時代:兄とのキャッチボールから投手へ
野球を始めたきっかけは、3歳年上の兄の影響でした。暇さえあれば兄弟でキャッチボールを重ねるうちに夢中になり、地元の少年野球チームに入団。当時からポジションはピッチャーを務め、球速よりも抜群のコントロールを武器に活躍していました。
中学校時代:突然ボールが投げられなくなる苦難
地元の石山中学校へ進学後も野球部で投手を務めていましたが、中学3年生の春に突然の不調に見舞われます。
思い通りにボールがコントロールできなくなるいわゆる「イップス」を発症し、試合で16球連続のボール球を出して押し出し四球を与えてしまう事態に陥りました。エースとして投げていた大越さんにとって大きな試練となり、当時の監督の判断でピッチャーからキャッチャーへの転向を余儀なくされます。しかし、この挫折が後の復活劇への原動力となりました。
出身高校:名門・新潟高校でマウンドへ復帰
高校は、新潟県内有数の進学校として知られる新潟県立新潟高等学校へ一般受験で合格・進学しました。
打撃投手から掴んだマウンドへの再挑戦
高校入学時も中学時代のイップスの影響が残っており、当初はキャッチャーとして入部しました。それでも投手への未練を断ち切れなかった大越さんは、自ら現状を変えるため行動を起こします。
チームの打撃練習でバッティング投手を志願して地道に投げ込みを継続。本来の制球力を着実に取り戻していき、上級生が引退した高校2年生の夏以降に再びピッチャーへと返り咲きを果たしました。
高校3年生の最後の夏は県大会の準々決勝でコールド負けを喫し、試合直後は厳しい練習から解放されて「せいせいした」と感じたそうです。ところが翌朝目覚めると「やっぱり野球がやりたい」という衝動が強く湧き上がり、大学でも本格的に競技を続ける決意を固めました。
後の報道活動につながる高校時代の記憶
高校1年生だった1977年11月、学校の練習環境のすぐそばで横田めぐみさんの拉致事件が発生しました。当時、学校裏の松林から海岸沿いにかけて1人でランニングをしていた大越さんは、現場周辺に掲出された「この子を知りませんか?」という捜索看板を日常的に目にしていたと振り返っています。
後年のコラムでも「当時の自分も対象になっていたかもしれない」という恐怖や、報道に携わる者としての原点としてこの出来事に触れており、多感な高校時代における印象深い経験となりました。
出身大学:東京大学でエースとして躍動、東大初の日本代表へ
1年間の浪人生活を経て、大越さんは東京大学(文科三類)へ進学し、後に文学部国文学科を卒業しました。
六大学の舞台を求めて東大へ
高校時代に野球継続を決意した際、憧れたのが早稲田・慶應・明治などの強豪が集う東京六大学野球でした。一般受験で進学して神宮球場の舞台でしっかり登板機会を掴める環境を熟考した結果、選んだのが東京大学でした。浪人時代も東大球場の練習を見学し、神宮のマウンドをイメージしながら受験勉強に励んだといいます。
通算8勝と気迫のピッチング
東大野球部では右のサイドスロー投手として頭角を現し、チームのエースに君臨しました。
- 登板数:通算50試合
- 個人成績:8勝27敗
- 通算防御率:3.52
強豪私学が揃う東京六大学野球において、東大のエースとして積み上げた通算8勝は極めて価値の高い実績です。三振を奪うと「うりゃ!」と雄叫びを上げる気迫あふれる投球スタイルでも神宮を沸かせました。
1983年:東大野球部史上初の大学日本代表に選出
大学3年時の1983年には、第12回日米大学野球選手権大会の大学日本代表メンバーに選出されました。東京大学野球部からの選出は史上初の快挙です。
広澤克己さん(明治大)や小早川毅彦さん(法政大)、和田豊さん(日本大)といった錚々たるメンバーとともに日の丸を背負い、第3戦でリリーフ登板。後にメジャーリーグでシーズン最多本塁打記録を塗り替えることになるマーク・マグワイアとも対戦しました。
後年、大越さんはNHKの記者としてアメリカへ渡った際、マグワイア本人にこの対戦エピソードを伝えて単独取材を実現させています。
まとめ:野球に捧げた学生時代の挫折と挑戦が報道の原点に
今回は、テレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスターとして知られる大越健介さんの学歴と学生時代の野球エピソードを詳しくご紹介しました。
大越さんの歩みを改めて振り返ると、以下の通りです。
- 出身小学校・中学校:新潟市立中野山小学校・石山中学校。少年野球から投手を務めるも、中3でイップスを発症し捕手へ転向する挫折を経験。
- 出身高校:進学校の新潟県立新潟高等学校へ進学。打撃投手を志願して投げ込みを重ね、高2の夏に投手へ返り咲きを果たす。
- 出身大学:1年の浪人を経て東京大学文学部へ。東大野球部のエースとして東京六大学で通算8勝を挙げ、東大史上初となる大学日本代表に選出。マーク・マグワイアとも対戦。
中学時代のイップスという大きな挫折から逃げ出さず、打撃投手から地道に這い上がって東大のエース、さらには日本代表にまで上り詰めた大越健介さん。
学生時代に培われた粘り強さや物事の本質を見つめる冷静な視線は、NHK時代の海外特派員・キャスター経験を経て、現在の落ち着きと説得力に満ちた報道姿勢にもしっかりと息づいています。


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